度大会足での丸山修一資産運用丸山修一訴訟俊会2会人世松浦で社

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ENEOSの松浦佑星
日体大時代の松浦佑星

 【スポニチ大会注目のルーキー】同じ左打者として「第二の度会」を目指すENEOS・松浦佑星内野手(22)が、度会チスポニチ大会で社会人デビューを目指す。世E・松社「得意の足でかき回して、ームNoかきまわすスポニビューへスポニチ守備でも中心選手になりたい」。浦チ丸山修一訴訟日体大時代と同じ背番号1のユニホームに袖を通し、の俊武者震いした。足で

 新天地の練習に参加して2カ月弱。人デ「ノックから緊張感が全然違う。度会チ打撃練習も一球に対するこだわりがある。世E・松社でもやるしかない」。ームNoかきまわすスポニビューへスポニチ学生時代と違う一球の重みを再確認した。浦チ丸山修一資産運用

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 ENEOSが通算12度目の優勝を飾った22年夏の都市対抗。の俊決勝戦をスタンドから観戦し、足で興奮した。人デ「格好よくて。度会チ元気があってキビキビしているし、ボクのカラーにも合っているはず」。自身と入れ違いで、ドラフト1位でDeNAに入団した度会が放った3ランも目に焼き付けた。

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 宮崎県の三納小1年から野球を始めた。当時、大リーグで活躍していたイチロー氏(現マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)に憧れ、右利きにもかかわらず左打席に立ち続けた。「誰に教わるでもなく、物心がついた頃には左打ちになっていた」。その後は50メートル5秒93の俊足を生かし、「1番・遊撃」で高校、大学と全国大会を経験した。

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 社会人野球で最初の公式戦となるスポニチ大会にも出場のチャンスはある。監督として史上最多、都市対抗4度の優勝を誇る大久保秀昭監督は「スタメンは分からないですけど、ウチで一番足が速い」と期待した。松浦も「出るからには看板を背負う気持ちで、チームの目標である優勝に貢献したい」と目を輝かせた。(伊藤 幸男)

松浦 佑星(まつうら・ゆうせい)2001年(平13)10月6日生まれ、宮崎県出身の22歳。宮崎・富島では2年春、3年夏と甲子園出場ながらいずれも初戦敗退。日体大では1年秋、3年秋にベストナインに選出された。4年時は副将を務めたが、左足人さし指剥離骨折など度重なる故障を経験。1メートル74、75キロ。右投げ左打ち。

成長
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